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2016.10.30 건강한 교회
안재호 목사 2016-10-30 추천 0 댓글 0 조회 624
[성경본문] 에베소서2:19-22 개역한글

19. 그러므로 이제부터 너희가 외인도 아니요 손도 아니요 오직 성도들과 동일한 시민이요 하나님의 권속이라

20. 너희는 사도들과 선지자들의 터 위에 세우심을 입은 자라 그리스도 예수께서 친히 모퉁이 돌이 되셨느니라

21. 그의 안에서 건물마다 서로 연결하여 주 안에서 성전이 되어가고

22. 너희도 성령 안에서 하나님의 거하실 처소가 되기 위하여 예수 안에서 함께 지어져 가느니라

제공: 대한성서공회

健康な教会            

エペソ219-22    

                      2016.10.30 東京ビジョン教会

 

かつてアメリカの若者たちが教会の前にプラッカードを掲げ叫びました。

“イエスは良い。しかし、教会は嫌い”イエスは信じるが、教会に炎症を感じた人がたくさんいました。この人たちを生かすために、教会の体質を変え牧会をしていた人たちがたくさんいる中に、代表的な人々がビルハイボルジュ、リック・ウォーレンのような人たちです。

キエルケゴールは、このような言葉をいいました。

「イエス・キリストは、水をワインに変えた。ところが、教会はより大規模な仕事をした。ワインを水で変えた。」福音の本質を失った教会を非難したのです。

この言葉を受けてある神学者は、

「現代の教会は一歩進んだ。ワインを置いた瓶さえ壊れてしまった。

だから、その壊れた瓶の部分で、お互いを刺し、お互いを悩ませている」

その壊れた瓶の部分に執事も刺されて、一般信徒も刺されたし、牧師も刺されて血を流しました。

教会に壊れた瓶のせいで社会も歴史も刺されて血を流しています。

日本の内村鑑三はこのような話をしました。

「イスカリオテのユダがうらやましい。イスカリオテのユダは売って食べるイエスもあったが、現代の教会は売って食べるイエスさえない。」

 

このように、教会を批判する声は昨日、今日の話だけではありません。

教皇イノセント4世と神学者トマス・アクィナスが法王庁バルコニーから会話を交わしていました。

ちょうどバチカンに世界各国から送られた献金袋が続々到着していました。

教皇が言いました。

「見よ。ペトロが、私には銀と金はないと言いましたが、今法王庁は銀と金が

豊富にあります。」するとトマス・アクィナスがこう言いました。

「しかし、今のローマ教皇庁は、ナザレのイエスの御名で起きて歩けという言葉を言えなくなっています。」

イエス・キリストの名を失った教会、起きて歩けという、聖霊の力を失った教会、

福音を失った教会に転落してしまったという話ではないでしょうか?

今、日本の教会は、教会の成長が中断されてから長くなりました。

教会は停滞の沼であえいで、聖徒たちは教会生活が、楽しさがなくなりました。

教会へただ通い。熱望も、切実な望みもありません。

教会は世の光と塩になれず、光と味を失ってしまいました。

最近の子供たちは、昔の子供たちより背もだいぶ大きくなり体重もたくさん増えました。

しかし、体力検査をしてみると力と粘り強さが足りません。

背も大きくなって、口も大きくなって、耳も大きくなったが、虚弱体質になりました。

さらには、肥満、アレルギー様々な病気に苦しんでいます。

心身も弱くなりました。小さな問題にぶつかっても、すぐに絶望して落胆します。

 

教会も歴史を導いていく力を失って、虚弱体質になってしまいました。

だから、教会が成長していることも重要だが、教会が健康に成長することが、より重要なことです。

現代の教会は、教会成長という言葉より、教会の健康がビジョンになっています。

私たちの教会にはビジョンがあります。マタイ2819-20言葉が私たちのビジョンです。

「あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊の名で洗礼を施し、あなたがたに命じておいたすべてを守るように教えなさい。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

 

「人生の放浪は、神様に会えば終わります。」「信仰の彷徨(ほうこう)は良い教会に会えば終わります。」人を生かし、人を育てる教会になりたいことが私たちの教会のビジョンです。

都心宣教を介してこの地、この国、この民族に福音を伝えることが私たち教会ビジョンです。

神様のビジョンをこの地に実現していく、健康な教会を作っていくことが私たちのビジョンです。

東京ビジョン教会は成長を続ける必要があります。

しかし、無条件成長するとされているものではなく、教会が健康に成長しなければならないというのです。

教会は果たして、無益な共同体でしょうか?

私たちが忘れてはならないのは、教会の軟弱(なんじゃく)性があるにもかかわらず、まだ罪が残っているにもかかわらず、過去二千年の間、神様はこの教会の共同体を救いの共同体へと導いてきました。

この教会を通して、神様は救われる人々が増えことを望んでおられます。

頭痛があるからと首を切る人がいるでしょうか

子供を洗った水が汚いから、水を捨てるとき子供と一緒に捨てる人はありません。子供は横に置き、汚れた水だけすてますよね!教会が多く誤っているとしても、福音も、イエスも一緒に捨てることにはいかないものではないでしょうか?

 

教会の軟弱性にもかかわらず、罪がまだ多いにもかかわらず、教会には豊かな祝福があります。

福音があります。イエス・キリストの救いの力があります。

そして、私たちを温かく迎えて、与える愛がこの教会の中にはまだあります。

この地球上に70億の人口のうち、25億の人口がこの足りない教会を通して救いを体験しています。この世の中に多くの共同体がありますが、神が自分で作った共同体、機関があります。

家庭と教会です。天国の市民にされた聖徒たちは教会生活が幸せれば家庭生活が幸せです。

教会生活が試験にさらわれたら家庭や職場や物事は揺れます。

夫婦間に問題があるとしても、両方の教会生活が正しく営まれば問題ありません。

このように、神様が直接作った共同体が教会なのに、なぜ教会はまだ問題があるのでしょうか?

教会には問題が多くある人々が集まる場所だからです。

 

教会が軟弱なのは、教会の軟弱性のためというよりは、教会は軟弱な人の集まりだからです。

教会に傷が多く、不足があらわれる理由はあなたや私たちのすべてがまだ不足して罪が多いからです。それにもかかわらず、教会は神聖な共同体です。

私たちが聖だからではなく、不足している私たちを聖なるものとされた聖霊様が、ここにおられるからです。罪多い私たちを聖なるものとしてくださるイエス様の聖血の力が歴仕されるためです。

それでは、教会生活の多くの問題をどのように解決することができますか?

健康で幸せな教会のモデルを、聖書で見つけることができます。

聖書を見れば、旧約聖書の中で最も完全な教会は、エペソ章に現れています。

だから神学者たちは、エペソ章を手紙の女王と呼びます。

その中で、今日の本文219節以下を介して、今、この時間、私たちに語られる重要な宣言があります。 「健康な教会を作っていく責任があなたがたにある」としています。

神様の聖殿を一緒に建てていくために、神様の国を建設することが、私たちがこの地で生きて行く理由だと言われています。

誰が何と言っても、教会は、イエス・キリストの体です。

主の体になる教会を私たちがどのように仕えたか?この教会をどれだけ元気にしたのか?

この教会を通して、私たちがどれだけ幸せな生活を享受しながら住んでいたのか?

後日、審判台に立った時に審判の判断基準になるのです。

 

私たちは、この地で信仰生活をする中での健康な教会と出会うことができるとすること、

幸せな教会と出会うことができるとしているのは確かに祝福されたとすることがいえます。

212節に、「そのとき、あなたがたは、キリストから離れ、イスラエル国から除外され、

約束の契約に対しては、他国人であり、世界で希望がなく、神もない人たちでした。」

そして、今日の本文は、このようにつながっています。

「あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」(19節)

 

「他国人でも寄留者でもなく」そうでした。天国で外国人ではないという話です。教会のお客様でないということです。あなた達は天国の主人公になりました。皆さん一人一人がこの教会の主人公になったのです。

ゲストは責任を負いません。また、権利もありません。

私たちは、天国の観光客になってはいけません。私たちは、天国の視聴者ではありません。

この教会は、健康な教会になって、幸せな教会になることを見物するだけの視聴者ではないという話です。

また、「聖徒たちと同じ市民であり」天国の市民になりました。私たちは、天国を所有しています。

天国の良いものを存分に享受できる権利を持つ人々になった話です。

米国の行ってみたら、米国の市民権と永住権を得るために、必死に努力をする人びとがどのくらいいるかは分かりません。日本に来てみると、日本も同様です。永住権を得るためにどのくらいの苦労をしているのかわかりません。大変です。

 

新約聖書が記録された当時のローマの市民権を持っているということは大変な力でした。

このローマの市民権を持つことができる道はいくつかありました。

1.ローマ市民権の子供に生まれたら、自然にローマ市民権を持つことができました。

2.ローマ帝国に偉大な貢献(こうけん)をしてくださる。遠く戦場に行き、さらに領土を占領して

ローマ皇帝カイザルに捧げ、領土拡張を認められれば、ローマの市民権が与えられました。

3.私たちは、想像もできないほど多くの財産をローマ帝国と皇室に持ってきて捧げればローマの市民権を得ることができました。

そうあらゆる犠牲と巨大な代償を払ってでも、ローマの市民権を取得するだけで、すごい力の享受がありました。それにもかかわらず、ローマ市民権者は、ローマ帝国内だけで、保護を受けることができました。

 

しかし、私たちは天国の市民権を持っています。私たちの市民権は、この地にあるのではなく、永遠の国にいます。この市民権を持つようになると、この世と来生の祝福を受けることになるのです。

天国の市民権を持つ者たちは、夜や昼や、高いどころか、低いどころか、苦難の中であるか、繁栄したどころにいるか、保護を受けることになるのです。天国の市民権は永遠に私たちの生命を守って保護します。

私たちがどのようにして、この天国の市民権を得ましたか?

神様の前に多くのお金を捧げましだか?私たちにはそのようなお金はありません。

たとえ、そんなお金を持っていたとしても、お金で天国の市民権は得られません。

それでは、神様の前に巨大な業績でも積んだのでしょうか?私たちにはそのような業績がありません。そのような業績があったとしても、公的に天国の市民権が与えられるわけではありません。

私たちが生まれたとき、天国の民の子として生まれましたか?違います。

私たちは、罪の中に生まれ、罪を食べ飲みながら、罪の中に生きてきました。

しかし、「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(8節)

全面的、神様の恵みによって、私たちが救いを受け、天国の市民になりました。

それだけでしょうか? 「聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです」(19節)

神の家族になったといいます。

私たちは、過去に天国のドアの前で排外してから、遠くの傍観者(ぼうかんしゃ)として立っていて、永遠の地獄に向かって滅亡の道を歩いて行くしかない人たちでした。しかし、今、イエス・キリストの中で、私たちは天国の市民となり、神様の子どもとなりました。

それだけですか? 「あなたがたは、使徒と預言者という土台の上に立てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。」(エペソ2:20)主がこの教会の礎石になりました。

今、私たち一人一人が神様の国を建設する天国の市民になれたものです。

ために、神様がこの教会をどのように作っていくのか?

“君たちを通じてこの地に、神の国を建設することを望んでいます”神様は言われます。

皆さんを通して東京ビジョン教会が健康な神様の国を作っていくことを神様は望んでおられると、言っているのです。

私たちが望むビジョンは、神様が喜ばれる健康な教会を立てていくものであり、神様のビジョンをこの地に実現する教会です。

 

どのようにして、我々はこの教会を健康な教会と作って行くことができますか?

私たち一人一人の信仰のシステムが健康な時には、この教会は健康な教会になることができます。

言葉に従い、聖霊様の働きに基づいて仕え奉仕するとき、健康な教会になることができます。

 

監督だけが良くっても、良い映画が作られることではありません。

映画俳優だけが、良くっても、良い映画が作られることではありません。

撮影の技師や照明の技師だけで、良くなることはありません。

 

傍観者がいればダメです。視聴者がいればダメです。ゲストがいればダメです。

不足していればそれなりに、弱ければよわいなりに、心が集められて、誰もが一緒にしたときに、健康な教会が作られることになるのです。美しさが必要になる。愛情が必要になる。犠牲が必要になる。従順が必要になる。汗が必要になる。ビジョンが必要になる。ということです。

教会はどの教会でも聖徒たちの犠牲と献身の土台の上で立てられ復興になるのです。

ここで参加した皆さんが健康な信仰人になる際には、教会が健康な教会になることを信じます。

 

タイに出ている宣教師の話を聞いてみたら、教会がまったく復興されていないそうです。

理由を調査し、研究してみたところ、タイには、殉教者がいないことです。タイ教会の歴史の中の殉教者が二人いるが最初の殉教者はワゴンに乗って教会へ向かう道中に丘から転がり落ち、車輪の下敷きになり死に、

第二の殉教者は、礼拝をささげ帰り道で、洪水に会って洪水に流された人が第二の殉教者になり、だから、その両方の場所に殉教者碑石が立てられているといいます。

 

主の血の値で建てられた教会、私たち東京ビジョン教会であるため、私たちの涙と祈りと献身と仕えが、ここに溶けたまりになる時、この教会が健康な教会になるのです。

教会は空の天使たちが集まる場所ではありません。あなたにも痛みがあり、私にも痛みがあります。

神聖な人々が集まる場所ではなく、罪人たちが集まる場所です。

しかし、明らかな一つの事実は、ここに癒しの歴史が今この瞬間にも起きていることです。

短い時間内に治癒を受ける人もいれば、長い時間がかかる重患者もいるのです。

これにより、なおさら、そのため、教会は健康な教会でなければならないことです。

言葉を終了します。東京ビジョン教会が健康な教会に建てられて行くことを願います。

科学物質文明から失われたイエス、にぎやかな世渡りで失われたイエス、

信仰の彷徨(ほうこう)の中で失われたイエス、人生の放浪の中で失われたイエス、

そのイエスをここ東京ビジョン教会に来れば、見つけられる教会になることを望んでいます。

失われた救いの感激、幸せな信仰生活、人生の喜びを見つける教会になることを望んでいます。

じゃ!さまよう人々たちよ!東京ビジョン教会行けば、

救いの感激を回復することができると云われるよ!人生の幸せを回復することができるといわれるよ!

人生の喜びを回復することができると伝わっているよ!私たちの周りに、この地に、そう伝えられ

多くの人々が希望を持って訪ねる教会になったらと思います。

 

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