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2016.9.18 믿음과 경험 信仰と経験
안재호목사님 2016-09-18 추천 0 댓글 0 조회 483
[성경본문] 창세기12:1-19 개역한글

1. 여호와께서 아브람에게 이르시되 너는 너의 본토 친척 아비 집을 떠나 내가 네게 지시할 땅으로 가라

2. 내가 너로 큰 민족을 이루고 네게 복을 주어 네 이름을 창대케 하리니 너는 복의 근원이 될지라

3. 너를 축복하는 자에게는 내가 복을 내리고 너를 저주하는 자에게는 내가 저주하리니 땅의 모든 족속이 너를 인하여 복을 얻을 것이니라 하신지라

4. 이에 아브람이 여호와의 말씀을 좇아 갔고 롯도 그와 함께 ?Ю만?아브람이 하란을 떠날 때에 그 나이 칠십 오세였더라

5. 아브람이 그 아내 사래와 조카 롯과 하란에서 모은 모든 소유와 얻은 사람들을 이끌고 가나안 땅으로 가려고 떠나서 마침내 가나안 땅에 들어 갔더라

6. 아브람이 그 땅을 통과하여 세겜 땅 모레 상수리나무에 이르니 그 때에 가나안 사람이 그 땅에 거하였더라

7. 여호와께서 아브람에게 나타나 가라사대 내가 이 땅을 네 자손에게 주리라 하신지라 그가 자기에게 나타나신 여호와를 위하여 그곳에 단을 쌓고

8. 거기서 벧엘 동편 산으로 옮겨 장막을 치니 서는 벧엘이요 동은 아이라 그가 그곳에서 여호와를 위하여 단을 쌓고 여호와의 이름을 부르더니

9. 점점 남방으로 옮겨 갔더라

10. 그 땅에 기근이 있으므로 아브람이 애굽에 우거하려 하여 그리로 내려갔으니 이는 그 땅에 기근이 심하였음이라

11. 그가 애굽에 가까이 이를 때에 그 아내 사래더러 말하되 나 알기에 그대는 아리따운 여인이라

12. 애굽 사람이 그대를 볼 때에 이르기를 이는 그의 아내라 하고 나는 죽이고 그대는 살리리니

13. 원컨대 그대는 나의 누이라 하라 그리하면 내가 그대로 인하여 안전하고 내 목숨이 그대로 인하여 보존하겠노라 하니라

14. 아브람이 애굽에 이르렀을 때에 애굽 사람들이 그 여인의 심히 아리따움을 보았고

15. 바로의 대신들도 그를 보고 바로 앞에 칭찬하므로 그 여인을 바로의 궁으로 취하여 들인지라

16. 이에 바로가 그를 인하여 아브람을 후대하므로 아브람이 양과 소와 노비와 암 수 나귀와 약대를 얻었더라

17. 여호와께서 아브람의 아내 사래의 연고로 바로와 그 집에 큰 재앙을 내리신지라

18. 바로가 아브람을 불러서 이르되 네가 어찌하여 나를 이렇게 대접하였느냐 네가 어찌하여 그를 네 아내라고 내게 고하지 아니하였느냐

19. 네가 어찌 그를 누이라 하여 나로 그를 취하여 아내를 삼게 하였느냐 네 아내가 여기 있으니 이제 데려가라 하고

제공: 대한성서공회

信仰、経験

 

 

 創世記 12: 1-9                                                       

2016.9.18 東京ビジョン教会

 

今日、この時間は、信仰で生きる人と、経験で生きる人に対して聖霊様の目で照らしてみます。聖書をみると、本当に神様を良く信じた人たちがいます。

 

 

 

神様を良く信じた人々は、いつもあふれる恵みを受けました。

 

 

 

ダビデは本当に神様を良く信じた人でした。

 

どれだけ良く信じていたなら、神様は“私の好みに合わせた人”と賞賛したのでしょうか。

 

神さまの御心に気に入るために、神をよく信じた、ダビデは、本当に溢れるような祝福を受け取りました。

 

ダビデは詩篇23章で ‘私の杯が溢れています’と告白しています。

 

 

 

パウロも、神様を良く信じた人でした。

 

パウロは学者でした。従って、真に論理的な人でした。

 

なので、間違えると、口と頭だけで神さまを信じる人になる可能性が大きい人でした。ですが、

 

彼は誰も付いていく事が出来ないぐらい厳しい、実践的情熱を持って、体で神様を信じた人でした。

 

 

 

パウロも、あふれる祝福を受けました。

 

パウロ書簡に、喜び、平和、感謝の言葉がたくさん出てきます。

 

平凡的な話に聞こえますが、それは神様だけが私達に与えることができる、天国の恵みです。

 

 

 

今日の本文のアブラハムも同様でした。

 

アブラハムは神様をどれほどよく信じたか、信仰の祖先と呼ばれています。

 

 

 

神様が、ある日、突然、故郷、親戚、父の家を離れろと語られました。

 

その時、アブラハムの年齢が75歳でした。しかしアブラハムは何にも効かず、問いたださず、

 

対策もなしで、本土の親戚、父の家を離れます。

 

 

 

どうして、そのようにできますか?信じたからです。彼は本当に神様を信じていました。

 

 

 

アブラハムには100歳に息子が生まれました。私は27歳に最初の息子が生まれました。

 

私が27才で生まれた息子も、家族みんなが喜びました。子孫が多くない家系である理由一つで、私はまた、54歳で最初の孫娘を見ました。

 

 

 

しかし、アブラハムは100歳、孫を見たことでもなく、息子が生まれました。

 

アブラハムが息子イサクを見ながら、毎日どのように生活していたのかは、見なくても知ることができます。

 

 

 

ところがある日、神は何の説明もなしで、

 

彼の息子イサクをモリアの山に連れて行って生贄として捧げよと言われます。

 

 

 

アブラハムは、抵抗と不従順は去って置き、質問でもしないといけない事でした。

 

神様!なぜですか?理由は何ですか?神様の約束をなぜ、変えるのですか?

 

子供を供え物として捧げる異邦人の神のように、どうして神様がそのような要求ができますか?

 

 

 

質問はあろうか、ひと言葉とも、なぜですか?という言葉をしませんでした。

 

神様は、アブラハムにあなたの子孫が天の星のように、海の砂と同じように繁盛することと祝福して下さいました。ところが100歳で得た息子イサクを殺せば、彼への祝福が遂げることは出来ません。

 

それでも、アブラハムは神さまに問いませんでした。

 

なぜですか?-信じていたからです。

 

イサクがモリアの山へ行く道中に、父アブラハムに聞きました。

 

火と木はありますが生贄で捧げる羊はどこにありますか?

 

アブラハムは何気なく言いました。' 神さまが用意してある。

 

アブラハムは、神がイサクの代わりに、羊を用意して下さる事を、最初から知っているのでしょうか。

 

いいえ!それは違います。知っていての答えではなく、信仰で、答えたのです。

 

現実的に見て、世の中の常識で見ると、非現実的な小説の中の話みたいな、、、、、空の星のように、海の砂のように、子孫を繁栄してくださると、神様の約束をしっかりと信じたことです。

 

 

 

一方、イエス様の時に、パリサイ人がいました。

 

彼らは神さまの律法をよく守ろうとする情熱を持っていた人々でした。

 

適度に、ざっと大まかに、律法を守るふりをし、生きることが嫌でしたので、主日に仕事をしないという言葉をよく守ろうと、安息日の規則を600種類あまりをつくる位、神の御胸と、律法に特別に熱心な人々でした。

 

 

 

彼らに万一、その時、自分たちが通い、仕える会堂の名前を付けるとしたら、

 

私達のように神のビジョンを実現する、○○会堂と名をつけたかも知れません。

 

 

 

神様の御心と、式と、法を、大事に思っているうちに、自然に人より、神さまの法と式をよく守るしかありませんでした。自分たちが自慢でした。口のみ主よ!主よ!する人々が不快だったのです。ところで、ここで彼らはだめになってしまいました。

 

 

 

神様の法を大まかに守る人々は自分が罪人であることを知らないです。なぜですか?

 

法をざっと大まかに知るだけで、詳細を知らないためです。ですが、神様の法を知れば知るほど、自分が罪人であることがより明確になります。それが律法の機能です。

 

法は X 線と同じです。X線を撮ると、骨がくっ付くことではなく、骨のどこが、どのように折れていたことを詳細に知ることができます。律法は血液検査と同じです。体内の疾患を知ることができます。律法は、罪人であることを示すX線です。血液検査と同じです。

 

 

 

律法がない時は義人でありましだが、律法があることで-罪人となりました。

 

事実は、罪人になったのではなく、本来、罪びとだったのを、それを正しく知って、悟ったことです。

 

 

 

ところが高慢になった、パリサイ人たちは自分たちの熱心を自慢するようになり、それが度を越して、

 

神さまの恵みではなく、自分たちの儀で、救いを得たように勘違いするようになりました。

 

従って、パウロは、人々が救いを得たことは、自分の儀によるものではなく、神さまの恵みである!

 

 

 

律法のためではなく、信仰で得ることであると強調したことです。そこに生まれた教理が、

 

「イエス・キリスドを信じる事で救いを得る」意味・・・

 

 

 

ところが、ヤコブの手紙によると、‘行動がない信仰は死んだ信念である’という言葉があります。

 

多くの人々がこの部分に誤解をされることもあります。この言葉は、律法通りの行動で救いを得ることを言うものではありません。行動がない信仰は、信仰ではない。ということを言われたことばです。

 

 

 

簡単に言うと、パウロは“信頼のない行を”批判した事であり、ヤコブは “行がない信仰”を批判した事です。

 

 

 

アブラハムは本土の親戚、父の家を出て行きました。それは行いです。

 

しかし、アブラハムは祝福を受け、救われたことは、その行のためではなく、信仰のためです。信仰なしでも、本土の親戚、父の家を去る人がいる可能性はあります。本土親類、父の家を去ることは素晴らしいですが、彼の偉大な行により、救われたことではありません。

 

 

 

アブラハムが本土親類、父の家を去ることは、信仰があっただめです。彼が信じただめに、アブラハムは、救われたのです。行のために救いを得ることはありませんが、信じると、行が存在することです。

 

イエス当時のパリサイ人の問題は ‘信仰のない、行動’だった場合なら、

 

これらの現代の人々の問題は ‘行がまったくない、信仰’です。

 

イエスは口たけで主よ!主よ!とする者に、神さまの国へ皆が入ることはないと言われました。

 

“聞いて、行動する者でなければなりません”と教えてくださいました。

 

信仰は聞くことから生まれます。ところが聞くことは行いにもなります。

 

‘言葉をよく聞く’とするときの聞くは、耳で聞くヒアリング (hearing) ではありません。行いです。

 

‘あの人はよく話を聞きます。話を良く聞きなさい’この言葉は良く行動をしなさいという意味です。

 

本当に神様を信じるならば、その信頼にあう、合理的な行為が伴うべきです。

 

もう一度強調します。神様を信じる信者ならば、信仰にあう合理的な行為があるべきです

 

 

 

教会に通っているからとして、みんなイエス・キリストを信じるわけではありません。驚くべき事実は、人々がイエス・キリストを信じるとしても、大事であるときは、全然信じないことです。

 

神様はいつでも、世の中の常識を超えて、行動なさる方ではありません。

 

ほとんどの場合、神様の世界と世の中は一致し、神様は常識を逸脱していないのです。

 

しかし、たまにぶつかります。たまに、葛藤があります。

 

多くの教会の信者は、神様が世の中と一致し、常識を逸脱していないとき、神を信じています。

 

 

 

ところで、驚くべき事実は、ほとんどの人々は、

 

神様が、世の中と対立し、常識と葛藤し、さらに目の前に示されている自分の利益と相反するときに、迷わず、神に従っていきません。

 

ほとんどの人々は、世の中に従順します。常識を信じている。自身の経験を信じます。

 

そのために、神様の力を経験することができなく。神様の祝福をうけることができないでしょう。

 

運転をしてみると、方向感覚が変わり、感覚がなくなる場合があります。

 

その時は自分の感覚に頼ることなく、標識版を見、標識に従って運転します。それが信頼です。

 

 

 

ところで、私たちに、神様は交通標識にも満たない存在です。

 

神さまと私が衝突すると、御言葉と常識が競合する場合、後ろを振り返るのではなく、私と、常識を信頼します。我々はそのように人生を生きていきます。なので、昼も夜も周りをぐるぐる回って、どんでもなくさまよいます。

 

教会の仕事をするときに、教会の方針の方向を決定するとき、最も重要なことは、信頼です。

 

良い人が皆信仰を持っている人ではありません。良い理にかなった話が、みんな信仰の言葉ではありません。

 

 

 

よい教会になるには、健全な教会になるには、

 

誰よりもその教会の牧師と、教職者がイエス・キリストを信じなければなりません。

 

すべての事を信仰で考え、信仰で決定しなければなりません。

 

 

 

世の中的な常識と、経験がー信仰を超えてしまえば、

 

良い人が、良い言葉がー基準となると、その教会は希望がありません。

 

 

 

言葉を終わろうとします。

 

もっぱら、義人は、信仰だけで、救いを得るといわれています。ですが、その信仰が私たちに不足しています。教会へは一生懸命に通っては居ますが、奉仕も一生懸命ですが、主よ!主よ!叫ぶが、

 

本当に重要なときには、神を信じないで、自分自身の経験と・・・

 

 

 

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